名字の由来

名字の由来

ご自身の名字に由来について、考えてみたことあると思います。
私も田中という名字から
『田んぼの中にいた人だったから田中というその名前が付いたのだろう・・・だからご先祖は、農民だろうな』
と想像していましたが、調べてみると、
田中とは地名を由来とした姓で、田んぼを持つものが多くなって小村が構成され、田中という地名が生まれそれが名字に転じたらしい。 (想像どおり・・・)
各地でありそうなエピソードだが東日本より西日本の方が多く、これは東日本よりに西日本の方が温暖で稲作が盛んだったためらしい。

余談ですが、大和国高市郡田中(奈良県橿原市田中町)発祥の古代豪族田中氏や江戸時代初期に柳河藩主となった近江田中氏など名家あるらしいです。 (因みに我が先祖は江戸時代に苗字を持たない農民だったが、『田中』の苗字を買い、田中と名乗ったらしいので、これも想像どおりでしたが)

名字の分類

名字の由来はそれぞれ、下記のように分類されます。
①地名(地形)姓 ・・・地名(地形)から
②氏姓 ・・・古代の氏から
③建造物姓 ・・・建物やそれに類する建造物名前から
④信仰姓 ・・・信仰から生まれた
⑤物象姓 ・・・用具などものや形のあるものから
⑥職名姓 ・・・古代から現代までのいろいろな職業から
⑦その他
1佐藤 2鈴木 3高橋 4田中 5渡辺 6伊藤 7中村 8小林 9山本 10加藤 日本の名字ランキングです。 次回から、順番に名字の由来について書いてみたいと思います。

佐藤姓/(分類)地名姓・氏姓・職名姓

佐藤姓は鈴木とともに日本でとても多い名字です。 とくに東北地方に多く、秋田・山形では県全体の約8%を占めています。 名字の由来についても多く、様々な説がありますが、有力どころ2つ紹介します。
  • ①平安時代中期に藤原鎮守府将軍:藤原秀郷の子孫の公清が、左衛門尉(日本の律令制下の官職)の職に就き、
    氏:藤原の『藤』と職名の左衛門尉『左』をとって、佐(左)藤と名乗った。
  • ②藤原秀郷の移住地下野国の佐野(現:栃木県佐野市)の地名にちなんで名づけられた。
源義経の家臣の佐藤継信・忠信兄弟を英雄とした物語(平家物語・吾妻鏡など) により各地に広がり、佐藤継信・忠信に憧れた人々が自ら佐藤と名乗り、
佐藤姓が広まったという背景もあったそうです。

鈴木姓/(分類)信仰姓・物象姓

佐藤姓の並び、日本でとても多い名字でその数は2百万人とも言われています。
  • 発祥地は、紀伊半島の熊野地区。 熊野古伝によれば 『孝昭天皇のときに熊野権現が龍に乗って千穂の峯に降臨した。そのとき迎えにきた3人の兄弟へ、長男:真俊は12本の榎の木を勧請したので榎本姓を、二男基成は餅を供えて丸子(宇井)姓を、3男:元行は稲を献上したので穂積姓を賜った』 穂積とは、刈り取ったあとの稲を天日に干すため積み上げたもののことで、熊野地区では穂積のことを『ススキ』といい、これに『鈴木』の漢字を当てたのが由来。
熊野信仰を布教した鈴木一族ともに各地に広がっていったと考えられています。

高橋姓/(分類)地名姓・物象姓

3番目に多い名字で群馬県・愛媛県では一番多い姓です。 全国に分布しているが、佐賀県・鹿児島県・沖縄県で他の県に比べ少ない。
  • ①高橋とは神々と人を結ぶための柱の意味。(この柱たてることは重要な祭祀のひとつで、その職を司ったのが高橋氏)
  • ②古代人にとって川や渓谷に高い橋を架けることは憧れだったということもあり、地名に高橋と名が付けられることが多かった。 上記の由来とし、高橋と名乗った人たち(主に神官や武士)が全国に広めていったと考えられています。
高橋姓のご先祖を一部ですがご紹介します。 氏族では ①孝元天皇の皇子大彦命の子盤鹿六雁命 ②大和国添上郡高橋が出自の物部氏族の高橋連 武士では 三河郡賀茂郡高橋郷(愛知県豊田市)発祥の藤原北家大森氏族

渡辺姓/(分類)地名姓・職名姓

全国に分布しているが、山梨県では一番多い姓です。和歌山県・沖縄県は他に比べ少ない。
  • 平安時代初期に嵯峨源氏が摂津国西成郡渡辺(現大阪市)に住み、その地名から渡辺と称した。 その一族が渡辺党として勢力を拡大するとともに渡辺の苗字も全国に広がったと考えられています。
また、渡部(わたべ)の姓は、船で人を運ぶ職務を担当する古代の職業部の渡部(わたりべ)が由来で、渡辺の姓と同化して拡がっていったとそうです。

伊藤姓/(分類)地名姓・氏姓

三重県(発祥地)では一番多い姓で岐阜県・愛知県など東海地方に多い姓です。
  • 伊藤とは、「伊」勢に住んでいる「藤」原氏という意味で 藤原秀郷の末裔の基景が、伊勢の地に住して伊藤と称したのがその由来です。 (伊豆の発祥で藤原南家の流を汲む「いとう」は、伊東と称した。)
父:伊藤祐広とともに織田信長に仕えた伊藤宗十郎は,1572(元亀 3)織田信長から朱印状を与えられ、尾張・美濃の呉服商を統括した。慶長16年名古屋に呉服問屋のいとう呉服店(松坂屋の前身)を創業。20年大坂の陣で戦死したという。
・明治の実業家で伊藤忠の創立者の伊藤忠兵衛は近江の出身。
・伊藤博文は、祖は伊予の豪族河野氏で、伊藤の前には「林」と称していた。