家紋について

家紋の由来

家紋のはじまりは13世紀頃と言われています。1220年頃に成立した史論書『愚管抄』に藤原実季が車の文様として巴紋を用いたこと記されまた、この年代に成立した『大要抄』や『餝抄』にも貴族が家紋を使用していたことが記されています。

メモ①
藤原実季が使用した巴紋は、
藤原公実→西園寺通季を受け継がれ、
西園寺家の家紋になったと伝えられています。

この時代の朝廷に仕える貴族は牛車に乗って宮中に参上するため、退出時には交通(牛車)渋滞が発生し混雑していたそうです。
早く宮中から退出するため貴族たちは、、各家独自の文様を牛車に施し自分の牛車と他家の牛車との識別するようになったと言われています。
貴族は家紋を一族の紋章とし、優雅な美意識を待たせ装飾的に使用していったと言われています。

武士と家紋

武士(武家)が家紋を使い始めたのが、敵陣で掲げる旗印から始まったと言われています。
平安時代の源平の争乱期の戦場では、源氏の白旗、平氏の赤旗のように敵味方を見分けがつくように紅白の旗により敵味方を識別していましたが、鎌倉時代に入るとほとんどの武士(武家)が自分の家紋を持っていたため、紅白の旗ではなく、家紋により敵味方を識別するようになりました。
奥羽の役、承久の乱など戦いが相次ぎ、武士は、戦場での働きに対して正確な恩賞を得るため個人を見分ける旗が必要となった。
こうした背景から急速に浸透していったと言われています。

江戸時代の家紋

江戸時代に入り、戦乱がおさまり武士(武家)の家紋の用途も大名、家臣の家格・門地(家柄)を示すものに変化していきました。

メモ②
江戸城の大手門には下座見役という登城する大名の家格の上下を見分けいち早く場内に知らせる役が配置されていた。というエピソードも残っています。

庶民にとっても家紋は装飾を目的とするものが多く、歌舞伎役者や相撲など芸能紋がもてはやされ商人の商標になったりした。苗字を名乗ることができなかった庶民にとって家紋は、苗字の代わりとなっていきました。

家紋の発展

明治に入り、明治8年平民苗字必勝称義務令により、国民全員が名字を持ち、今まで家紋を持たなかった人々も家紋を新たに設定するようになりました。家紋は、礼服白襟黒紋付と称して結婚式や葬儀の席で用いられ、また、ご先祖の墓石に家紋を彫るなどして家紋を利用するようになりました。現在、家紋は2万5千種類以上とも言われています。家紋を代々受け継がれてきた方は、家紋の由来などを知ることでご自身のルーツを知るヒントにもなります。家紋が不明な家(我が家のような)は、新たに家紋を定め使用し、次の世代へバトンをつなぐということもできます。

当事務所では、5千以上の家紋のデータを保存しております。
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参考・・・家紋の辞典(高澤等著)、家紋辞典(大隈三好著)、家紋を探る(森本景一著)